断る、例え君がどんなに乳が欲しくても①
と書いて、「断乳」。
娘が1歳5ヶ月になったその日に断乳をした。
保育園に慣れるまでは不安な気持ちになるだろうから、家にいる時くらいはそれまでと何ら変わらない母乳を堪能して欲しかった。寝かしつけも、もちろん添い乳。20時頃眠りについた後も、大抵22:00と明け方5:00頃の2回は寝ぼけ眼でむしゃぶりついてくる娘にTシャツをめくって乳を差し出していた。
断乳の日は、保育園に通い始めてからちょうど丸二週間経った土曜日だった。4月に入ってから毎日カレンダーを見せては、「あと◯日だよ」と伝えてきたけれど、これが彼女が納得する手助けになったかどうかはわからない。
土曜日の午前中は、たっぷり乳をあげた。少しでも欲しそうなそぶりを見せたら、どんどんTシャツをめくった。というか、娘自らめくって飲んでいた。スタンディングで。
正午を迎え、すっと洗面所に引っ込み、用意しておいた油性マジックで2匹の猫を描いた。鏡で見てみたら、「ねほりんはほりん」のキャラクターの顔みたいだった。これを描いてしまった以上、もう1滴たりとも乳をあげるわけにはいかない。
その後ほどなくして娘は乳が欲しい時の声(普段は出さない唸り声のような声)を発しながら私の首元をガリガリ引っ掻いてきた。いつものサインだ。
私はTシャツをめくって2匹の猫を見せた。娘は泣きも笑いもせず、ただ「飲めないようだ」と納得はしたようで、それ以上はサインを出してこなかった。
友人に貰った「断乳とらの巻」を見ると、断乳から3日くらいは、たくさんあそばせること(夜の寝つきをよくするため)、まめに間食させること、と書いてあった。なので、家族三人で近所の大きめの商業施設に遊びに行った。こまめに納豆巻きも食べさせた。心配していた私の胸の張りもそこまでではなく、「な〜んだ、意外と楽勝じゃん」そんなことを思っていた。家に帰っていざ、寝かしつけの時間を迎えるまでは。(続く)
日々は続く
育休があと2ヶ月ちょっとで終わる。
なぜなら、通える保育園が決まったからだ。
区役所からの封筒をポストに見つけて、5階の自宅まで階段を駆け上がった。引っ越して一年になるが、マンションの階段を使ったのは避難訓練の時以来二度目である。
娘を風呂に入れていた夫に、「きてた!」と声をかけた。「開けてみて!」とくぐもった声。普段は指で開けるところを、ハサミで丁寧に開けた。
一番重要そうな薄いブルーの紙に、第9希望の保育園の名前が書かれていた。一緒に保育料の引き落とし手続きの紙や、説明会の日程の紙なんかが入っているのが嬉しい。決まったのは、駅前にできる新しい園だ。先輩父兄がいないのは、バイトのオープニングスタッフ(やったことないけど)みたいでなんだか気が楽。
三連休最後の昨日、祖父の家に遊びに行った。
祖父はドアを開けるなり、ひ孫を見て「大きくなったねえ」と顔をほころばせた。
前回訪ねたのは去年の敬老の日。その時娘は10ヶ月だった。今回はやや人見知りが進んでいて、最初だけ大泣きした。その後は祖父の膝の上で楽しそうにしていた。祖母の遺影を指差したり、さるの人形で遊んだり。
祖父は私に娘の誕生日を尋ねると、プレゼントした敬老の日の写真立ての裏に娘の名前と誕生日をマッキーの細いほうで書いた。その後何度も、私や夫に誕生日を確認した。名前も誕生日も、何度でも答えるので、何度でも聞いてほしい。娘の名前には、祖父の家の庭になっている果物の漢字が入っているのだ。祖父はそれを聞くたびに、「いい名前だ」と言ってくれる。
このブログを読み返すと、娘が「寝返り」をするまで、ずいぶん気を揉んでいたことがよくわかる。「寝返り」以降、ズリバイ、ハイハイ、お座り、つかまり立ち、つたい歩きと、それはもう目覚ましい進化を遂げているが、どれも「寝返り」の時のように、今か今かと待ってはいなかった。あれ?できてる!という感じで、いつの間にかしっかり出来るようになっていた。母もずいぶん大らかになったものである。
母子手帳の昔のページを読み返すと、「つかまり立ちはいつ頃しましたか?」の問いに、「つかまらせてみたら立ったので、もう少し前からできていたのかもしれない」と書いていた。それはつかまり立ちではないと、今ならわかる。無理にさせずとも、自分でする日がくるのだ。
この半年で、娘が1歳になり、私は34歳になり、娘の記念写真を植本一子さんに撮ってもらい、近所に新しい友達が増え、ECDが亡くなり、娘を名前で呼ぶと手を挙げて応えてくれるようになった。『働けECD』は、この先何度も何度も読み返すことになると思う。
最近のあれこれ
ブログを更新しないまま9月になってしまった。
ここ1か月くらい、朝晩と娘に離乳食をあげようとすると、最初のひとくちを口に含んだだけで大泣きする、というのが続いていた。正直、1日2回定例で大泣きされるのは、かなりきつかった。
食べる場所をベランダや風呂場にしてみたり、歌いながら食べさせてみたりした。
器やスプーンを自分で持ちたがるので、空のを持たせてそれを舐めようと口を開ける隙にスプーンを差し込んで食べさせるという、かなり裏技的なこともやった。
しかし、自分で食べたいと思って口を開けていない以上、おそらく本人にとっては不本意な咀嚼になっていたのだと思う。
だましだまし食べさせるのは、しんどい時間だった。
仲良くなったお母さん達にこぼすと、心配して赤ちゃん用のおやつをくれたりした。おやつから食欲が湧いてくることもあるらしいよ、と。
改めて、春に3か月通ったフィットネスで友達ができて本当によかった。生い立ちも、趣味嗜好も、何の仕事に就いているかも一切知らない状況で、ただ0歳児の親だという共通点のみで(アルコール抜きで)人と仲良くなっていくなんて至難の技だと思ったけど、誰かと打ち解けて話がしたいとという気持ちは、多かれ少なかれみんな持っているんだな、と今ならわかる。
話を戻す。そんなご飯イヤイヤの娘の食欲が、戻ってきたのである。
出汁の味が好きそうだったので、おかゆにもおかずにも細かくした鰹節と、あと調味料を数滴混ぜてみたら、モグモグし終わると口を「アーン」と開けて次のひとさじを要求するようになった。久しぶりに見た顔である。後になって聞いた栄養士さんの話では、素材の甘味を感じるためにも、少量の調味料は必要、とのことだった。
最近はまた本を読むようになった。
娘を寝かしつけてすぐテレビをつけると起きてしまうから、おのずと一人の時の娯楽が本になった。
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今村夏子『こちらあみ子』
今村夏子『あひる』
湊かなえ『豆の上で眠る』
YUKI『GIRLY★TREE』
角田光代『ロック母』
YUKI『Girly★Swing』
宇都宮美穂/大森克己『Girly★Rock』(YUKIの半生を綴った文章と写真)
植本一子『家族最後の日』
植本一子『かなわない』
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植本一子の本は新しいものから読んでいて、これ以外のものも早く読みたい。読みたいのだが、なんとなくamazonから最短ルートで届けられたものではなく、書店で見つけて買いたいと思っていて、行くたびに探しているのだが、まだ上の2冊以外は見つけられていない。棚でいうとムロツヨシの『ムロ本』(縦書きなので「台本」みたいに読める)の近くに大抵あるので、いつもその辺りをチェックしている。
『かなわない』のほうで、体調不良で寝込んでいる著者に、娘達と適当に夕飯食べてと頼まれた夫が「野菜がないね」と言ってきて、「オイよく見ろや冷蔵庫にレタスあんだろうが」と思った、というくだりが最高に笑えた。
YUKIの本が多いのは、7月の頭にライブに行ったから。このライブ、むちゃくちゃよかった。ステージでは人間離れした女神様みたいに見えたけど、本を読むとYUKIの人間臭さいところがたくさん知れて、益々好きになる。
寝返りとアルピー
6月26日(月)、娘がついに寝返りをした。
洗面所から戻ったらうつ伏せにひっくり返っていて、めちゃくちゃ驚いた。
生後7ヶ月と12日の出来事である。
寝返りをする瞬間も、昨日この目で見ることができた。
先週、保育園の育児相談会や地域の赤ちゃん会で寝返りのことを相談していて、
「筋肉もしっかりしているので、きっと7ヶ月のうちにはできるようになりますよ」
と言われていた。
それ以降、寝返りをしたそうにしている時に腰を支えてクルンっと回る練習をしていたわけだが、ついに一人で出来るようになったみたいだ。
寝返りをするようになったことで、背中をベターっと床につけているのではなく、
横を向いていることも増えてきた。
その時のプリプリしたお尻が可愛い。
パンパースの青い線もよく見える。
話は変わって、アルコ&ピースの眼鏡の人のブログが面白い。
2016年の9本しか記事がないので、もうそれぞれ2回ずつは読んだ。
日常を面白く切り取るのは、まあ芸人さんだし得意だとしても、文章がうますぎる。あまりの面白さに妹にも勧めてしまった。勧めたそばから全部読んだらしい。
今日の午前中はあまり気乗りしないが避けられない用事。
妹も来るので、用が済んだらこのブログの話をしよう。それを楽しみに出かける。
曇り空の月曜日
場所をベランダに移したシマトネリコとバジルは、そう!ここがよかったのよ〜!とでも言うように、スクスク育っている。シマトネリコは、柔らかくて薄緑色の新芽が、常にあちこちにある状態。バジルは、20粒ほど蒔いた種のうち、発芽して今も残っているのは4つのみ。とはいえこちらも大きな葉をつけ始めている。まだ香りはしないけど。
先日枝元なほみさんの本を見て作ったモロヘイヤスープが美味しかった。
チキンコンソメを溶いたスープに、ざく切りにしたモロヘイヤと、溶かしたにんにくバターを入れるだけ。今晩も作る予定。
まあ、にんにくと塩と油が入れば、大抵なんでも美味しくなりますよね。
母子手帳には、「発育の目安」みたいなページがあって、「首すわり」「寝返り」「一人でおすわり」「立つ」「歩く」などが出来るようになる、目安の時期が書いてある。それは約9割の赤ちゃんができるようになる時期らしいのだが、それによると「寝返り」は5ヶ月中が目安とのこと。
娘は今週で7ヶ月になるのだが、まだ寝返りをしない。まあ、そのうちするだろ〜と思っていたのだが、同じかもっと低い月齢の子がぐるぐる自由自在に転がっているのを見ていると、個人差があるとわかっていても、いつの間にかフツフツと不安な気持ちが湧いてきていた。
そんな時、先週木曜日の「5時に夢中」で、新潮社の中瀬ゆかりさんが、「普通」という言葉を定義し直すなら?というお題で、こう答えていた。
「それを唱えることで全てが思考停止に陥る呪文」
「『一番いい』と言われながらまっさきに飽きられる状態のこと」
これを聞いて、心のどこかで「普通」を求めて、自分も思考停止になっていたんだな、と思った。と同時に、なんだか大袈裟だけど、解放された気がした。
娘が赤ちゃんの時期は、きっと後々振り返ればとっても短い。短いからこそ、何度も思い返す、大切な時間になるはずだ。たくさん側にいて、スリスリして、余計なことに目を曇らせずによく見ておこう。そう思った。
「バナナです」
今日はいいことばかりあった。
まず、娘に初めてバナナをひとさじあげてみたら、ムグムグと食べたこと。
バナナはレンジで温めてから、裏ごしした。
バナナの裏ごしというのがなかなか難儀で、スプーンの背でゴリゴリと「こしあみ」にバナナを押し付けるのだが、粘り気が強く、なめらかにこされた状態のものは全て「こしあみ」の裏にへばりつくので、これをスプーンでこそげ落とす。そして、この手法で採れる量は非常に少ない。今日はバナナ1本分をこしたが、おさじ5杯分しか取れなかった。
娘がおかゆとにんじんとバナナの離乳食を終えた後に食器を持って台所へ行くと、「こしあみ」の上に「こされなかったバナナ」が変色した無残な状態で残っていたので、朝食代わりに急いで食べた。なぜ急いでいたかというと、お昼の12時になる前に近所の銀行の窓口に行きたかったからである。真っ黒なグチャグチャのバナナを食べながら、「ああ、お母さんになったんだな〜」となぜかしみじみ思った。
もう一つ、「お母さんになった」ことを強烈に自覚した瞬間がある。
あれは産後2ヶ月くらいだっただろうか。その頃はまだ娘が飲む量に対して作られる母乳が過多で、母乳パッドを使っていた。(母乳パッドとは、下着と胸の間に挟んで使う、使い捨ての吸水パッドである。服に母乳が滲み出てくることを防ぐ)
風呂に入るために使用済みの母乳パッドを脱衣所のゴミ箱に捨てようとしたその時、床に落ちている髪の毛が目に入り、母乳パッドの裏の粘着面にその髪の毛をペタりと貼り付け、そのままゴミ箱にポイしたのだ。半裸で。それは流れるような無駄のない動きだった。
この時も、「お母さんぽくなってきたな〜」と思った。
母とは、段々になっていくものなのかもしれない。
話が逸れた。
今日あった他のいいことはこんな感じ。
・昼間、初めて入った店で食べた担々麺が好きな味だった
・いつもママフィットネスの時間に大泣きする娘が全く泣かなかったので、初めて一人でヨガマットの上で大の字になれた(いつもは泣いている娘を腹の上に乗せて、足だけ広げる)
・フィットネス仲間のお母さん達と一緒に帰って楽しかった。「お母さん」として知りあった人と話して、むせるほど笑ったのは今日が初めてな気がする
・ベランダに出したシマトネリコが艶やかになってきた。やはり生垣として使用されるくらいだから、外のほうがいいのかもしれない。黴も消えてた
明日は保育園見学が2件と、保育園の園長先生との面談が1件。
なんだか「保活」っぽい1日である。
明日は…
シマトネリコの鉢の、表面の土の玉?みたいなやつに黴が生えた。これはまずい。
今まで室内に置いていたけれど、これは太陽の日差しに表面をカラカラに焼いてもらった方がいい。
そう思って午前中のうちにベランダのストッカー(先客にバジルがいる)の上に置いた。
夕方見たら、まだフヨフヨと細かい埃のようなものを纏わせていたので、根本的な解決からは遠ざかると思いつつも、コップ一杯の水をかけた。
明日はどうなっているんだろう。
娘の離乳食開始から5日目の今日、初めて野菜を食べさせた。
たまたま冷蔵庫にあったニンジンである。
昨日のうちに茹でて、裏ごしして、冷凍しておいた。
ニンジンひとさじぺろっと食べ、おかゆも食べて、おっぱいもたっぷり飲んだところで、げっぷをさせたら、ゴボっと吐いて、せっかく食べたニンジンも出てきてしまった。
明日は空気だけ出てくるといいのだが。