見学ほか

最近の娘について。

・「あれ?こんなに生えてたっけ?」と思うくらい、下まつげが伸びていた。私も下まつげが長いので、似たのかもしれない。

・少し離れると「ヒイイイ〜ン」という声を出し、近ずくと、ニヤッと笑う。何かを体得してしまったようである。

・ベビーカーの持ち手のところにぶら下げたボール(赤ちゃんが握りやすい網目状のボール)を持って、舐めるようになってきた。おもちゃを自分からつかんだり舐めたりする様子が今まであまりなかったので、嬉しい。と同時に、ベビージムのようなぶら下がり系のおもちゃにも手を伸ばすようになってきた。特に黄色いものを殴りたい衝動があるようで、プーさんやティガーによくパンチをお見舞いしている。

 

今日は2つの保育園の見学に行った。とても対照的な園で、今後の指標になるいい経験になった。夕方、やや疲れ気味だったので、豪勢にホテルのティーラウンジで980円のアイスカフェオレを注文。ベビーカーで眠っていた娘(眠っていたから入ったんだけど)が途中で目を覚ましたので抱っこをすると、天井からぶら下がっている巨大なシャンデリアをじっと見上げていた。

 

今朝、例のバジルがついに芽を出していた。調子に乗って、帰りに無印でハイドロカルチャーペペロミアを購入。

うすはり

初めてふるさと納税をした。

今年3月に初めて確定申告をして、そんなに難しくないことがわかったので、してみたいと思っていた。

寄付先は、北海道の稚内市。使い道は子育て支援ポーションの蟹がもらえるらしいので、楽しみだ。

前に住んでいた場所によく行くお寿司居酒屋があって、そこで食べたズワイ蟹の天麩羅の味が夫婦揃って忘れられない。ふわふわで、真綿のようだった。

美味しかった蟹というとその時のことを思い出すので、今回の蟹が我々の蟹ベストを更新してくれることを期待している。

 

今日はとても暑かったけれど、風も吹いていて気持ちの良い日だった。

前に見学した時に絵本の貸し出しをしてもらった保育園に、返却しに行った。『そらまめくんのベッド』と『もじゃもじゃ』の2冊だ。

今、無性に、ばばばあちゃんの『よもぎだんご』と『11ぴきのねことあほうどり』が読みたい。娘に読んであげたいというか、自分が読みたい。どちらも、作中にとても美味しそうなよもぎだんごとコロッケが出てくるので、大好きだった。本屋で探してみよう。

もう少し大きくなったら、「モモちゃんとアカネちゃん」「クレヨン王国」「わかったさん」「かぎばあさん」なども面白いよと伝えたい。

途中、ドーナツ屋さんでチョコドーナツとアイスカフェオレで休憩をした。天井からぶら下がっている照明がどれも違って可愛く、グリーンも素敵に飾られている店だった。

娘と行く初めての場所は、どこでも楽しい。カフェオレの入ったうすはりのグラスが涼やかだった。

こどもの日

楽天でプラントスタンドを買ったら一緒にバジルの種をくれたので、植えてみた。

一週間経つが、まだ芽が出てこない。室内に置いているからかなと思い昨日からベランダに出してみた。そのうち出てくるだろうか。

今日は産後初めて髪を切りに行く。前髪だけは美容師の友達が家に遊びに来た時に切ってもらったのだが(その時彼女はたくさんのハサミやクシをぶら下げるポシェットを持ってきてくれた)、全体を切るのはかなり久しぶりだ。こういう時に「せっかくだし」と思って大胆な注文をすると、大抵失敗する。それがわかっているのに、きっと鏡の前に座ったら、「バッサリ」と伝えてしまうだろう。

 

昨日は近所の(といっても徒歩で30分はかかる)大きな公園へ行った。こどもの日だったので、大きな鯉のぼりがたくさん泳いでいた。スケボーやスケボーに似た何かで遊んでいる人がたくさんいて、ちょっとやってみたくなった。

芝生にはテントがたくさん張られていた。子供を遊ばせておいて中で親がゆっくりしたり、授乳したり、子供が昼寝したりするらしかった。音楽のないフェスのようだ。

娘と夫はパイナップル柄の揃いの服を着ていて、陽気な見た目だった。母に写真を送ったら、「ハワイにいるのかと思った!」とのこと。んなわきゃない。

パイナップルの上に座っている熊と、ウクレレを弾く熊の置物を買って帰宅。

青空

GWの予定がぱらぱらと決まりつつある。

例年、「どうせどこも混むし」と前もって予定を立てない割に、GWが近づいてくるといそいそと温泉案内やじゃらんなどを見始め、土壇場で方向性と行く場所が決まる。赤ちゃんがいるから予定が立たないとかではなく、もともと夫婦揃ってGWに対してはそういう態度なのだ。

今年は温泉に行くことになりそう。できればザブンとお湯に浸かっていい景色を眺めた後に、冷たいジュースでも飲みながら畳の上でゴロゴロしたい。

 

今日は昼すぎから雷が鳴り始め、部屋の中が刷毛で塗ったように急に薄暗くなった。突風に注意、とYahooニュースに書いてあったので、ベビーカーではなく抱っこ紐で出かけた。病院での用事を済ませ外に出ると、見事に晴れていた。一度崩れた天気の後の青空は、ありがたみが増す。

浮かれてお散歩の新ルートを開拓し、抱っこ紐の中の娘にじっと見つめられるたびに頭をクリクリと撫で、おそらく今年初めてのアイスコーヒーを、歩きながら飲んだ。

銭湯へ

昨日は娘を寝かしつけてから一人で銭湯へ行った。

前々から散歩中に気になっていた銭湯だ。入り口の横にたくさんの薪が積んである。

中に入ってみると、ロビーや脱衣所など、いたるところに花やグリーンが飾ってあった。

瑞々しいとはこういうことを言うのか、というくらい、どの鉢のグリーンも綺麗な緑色をしていた。大きな湯船からのぼってくる湿気がいいのだろうか。

私は前々から、「銭湯の鍵を足につける女の子は海の家でバイトする系」説を提唱していているのだが、昨日の銭湯にはそのタイプの女の子は見当たらなかった。おばあさんんが多かった。

銭湯の洗い場で「これがいつもの手順です」という感じでチャッチャと身体を洗っているおばさんを見ると、勝手ながら、ああ地に足のついた生活をしてきた人なんだな、と思う。私はいつも、メイク落としをつけていないのに手を濡らしてしまったとか、タオルがなくて背中が洗いづらいとか、固定された蛇口の下で身をくねらせて泡を流したりだとかで、こなれることがない。何度も銭湯に行っているのにだ。なんとなく、自分の母や父も、銭湯に不慣れなタイプの人間な気がする。

ホクホクとした身体でロビーに出ると、NHKエレファントカシマシが「赤いスイートピー」を歌っていて、冷たいジャワティーを飲みながらおじさんやおばあさんと一緒にその番組を見た。マッサージ機を使用中のおじさんが「ずいぶん懐かしい曲やってるな!」と、嬉しそうに連れ合いの人に声をかけていた。そのマッサージチェアドライフラワーや花のリースに囲まれていて、私の座っているベンチからはおじさんがまるで花園の中でうっとりしているように見えて、少し可笑しかった。

帰りに自転車で夜道を走っていると、いつも娘と散歩をしている時とは違う道のように思えた。娘も大きくなったら、楽しいことがあった日や楽しくないことがあった日に、夜道をこんな風に自転車で疾走するのかもしれない。

家に帰ると娘はぐっすり寝ていて、夫がビールを飲みながらTVを見ていたので、一緒にノンアルビールを飲みながら堅揚げポテトを食べた。

夜の途中

毎晩、20時頃に娘を寝かしつける。

つい自分もウトウトしてしまうと、シンとした部屋で目を覚ますことになる。

夕食の支度を再開する、録画したドキュメンタリーを見る、家計簿をつける、買ったままになっている漫画を読む、などなど、娘が寝たらやろうと思っていた事柄を頭に思い浮かべるも、だらだらと起き上がる気になれない日がある。自分のために時間を使える絶好のチャンスにも関わらず。

そんな時、近所のバッティングセンターから「カーン」というヒットの音が聞こえると、ああ、起きよっかな。と思う。

仕事の帰りにわざわざバッティングセンターに寄って汗だくになって、これから帰る人だっているんだ。夜はまだまだこれからなんだ。とりあえずお茶でも飲むか。

そんな感じでもそもそと起き上がる。

 

話は変わって、シマトネリコの元気がやっぱりない。

茶色く変色した葉がたくさんあり、指で触れるとハラハラと落ちる。

多肉植物が欲しいけど、新入りがどんどん枯れていくと悲しいので、とりあえずこのシマトネリコが軌道に乗るまで我慢しよう。

土間の出窓にプラントスタンドを置いた。多肉植物を寄せ集めて置くのが楽しみだ。

最近読んだ漫画

『透明なゆりかご』を読んだ。1990年代に産婦人科で看護師見習いをしていた著者による、いわゆるコミックエッセイだ。

妊娠中、『コウノドリ』と共に気にはなっていたものの、産婦人科の現場で起きるあれやこれやについて先取りする勇気がなく、読めないでいた。

最近になって携帯にバナー広告が表示されるようになり、改めて読んでみた。いつもの散歩中に、本屋で買った。

ところどころで、ボロボロ泣いた。特に1巻の健太くんの話。

健太くんは、不倫の果てに野良妊婦となった田中さんから産まれた赤ちゃんだ。

田中さんは最初、せっかく産まれてきた健太くんにまるっきり無関心で、不倫相手の気持ちを自分に向かせることばかりに腐心する。しかし徐々に健太くんには自分しかいないことに気づき、心を入れ替えて著者と共に健太くんの世話に励むようになる。そして、生まれ変わったようなスッキリした表情で退院していく。

後日、著者は退院後間もなく健太くんが亡くなったことを知る。原因は添い寝中の窒息死ということだが、周りの看護婦たちはさもありなんという感じで虐待を疑っている。

しかし著者だけは違う想像をする。

お母さんと一つの布団で、夜中に泣き出す健太くん。眠い目をこすって、しかし穏やかな表情で授乳するお母さん。嬉しそうにおっぱいをコクコク飲む健太くん。そしてひっそりと訪れる悲しい静寂。

台詞のない淡々としたページだが、それが一層お母さんと健太くん二人きりの、愛に満ちた時間を際立たせる。布団の温もりまでがこちらに伝わってくるような2ページで、何度読み返しても泣いてしまう。

「私は健太くんは愛情につつまれて死んでいったんだと思いたかったー」著者の結び通りのことを、漫画を閉じた後もしばらく願ってしまうほど、心を掴まれた話だった。