日々は続く

育休があと2ヶ月ちょっとで終わる。

なぜなら、通える保育園が決まったからだ。

 

区役所からの封筒をポストに見つけて、5階の自宅まで階段を駆け上がった。引っ越して一年になるが、マンションの階段を使ったのは避難訓練の時以来二度目である。

娘を風呂に入れていた夫に、「きてた!」と声をかけた。「開けてみて!」とくぐもった声。普段は指で開けるところを、ハサミで丁寧に開けた。

一番重要そうな薄いブルーの紙に、第9希望の保育園の名前が書かれていた。一緒に保育料の引き落とし手続きの紙や、説明会の日程の紙なんかが入っているのが嬉しい。決まったのは、駅前にできる新しい園だ。先輩父兄がいないのは、バイトのオープニングスタッフ(やったことないけど)みたいでなんだか気が楽。

 

三連休最後の昨日、祖父の家に遊びに行った。

祖父はドアを開けるなり、ひ孫を見て「大きくなったねえ」と顔をほころばせた。

前回訪ねたのは去年の敬老の日。その時娘は10ヶ月だった。今回はやや人見知りが進んでいて、最初だけ大泣きした。その後は祖父の膝の上で楽しそうにしていた。祖母の遺影を指差したり、さるの人形で遊んだり。

祖父は私に娘の誕生日を尋ねると、プレゼントした敬老の日の写真立ての裏に娘の名前と誕生日をマッキーの細いほうで書いた。その後何度も、私や夫に誕生日を確認した。名前も誕生日も、何度でも答えるので、何度でも聞いてほしい。娘の名前には、祖父の家の庭になっている果物の漢字が入っているのだ。祖父はそれを聞くたびに、「いい名前だ」と言ってくれる。

 

このブログを読み返すと、娘が「寝返り」をするまで、ずいぶん気を揉んでいたことがよくわかる。「寝返り」以降、ズリバイ、ハイハイ、お座り、つかまり立ち、つたい歩きと、それはもう目覚ましい進化を遂げているが、どれも「寝返り」の時のように、今か今かと待ってはいなかった。あれ?できてる!という感じで、いつの間にかしっかり出来るようになっていた。母もずいぶん大らかになったものである。

母子手帳の昔のページを読み返すと、「つかまり立ちはいつ頃しましたか?」の問いに、「つかまらせてみたら立ったので、もう少し前からできていたのかもしれない」と書いていた。それはつかまり立ちではないと、今ならわかる。無理にさせずとも、自分でする日がくるのだ。

 

 この半年で、娘が1歳になり、私は34歳になり、娘の記念写真を植本一子さんに撮ってもらい、近所に新しい友達が増え、ECDが亡くなり、娘を名前で呼ぶと手を挙げて応えてくれるようになった。『働けECD』は、この先何度も何度も読み返すことになると思う。

 

明日は平昌オリンピックハーフパイプ決勝。平野選手の滑りが楽しみだ。